2016.08.06. 寿々、ありがとう

長い事投稿エラーが続いていたので、久しぶりのブログです。

 

 

 

 

8月3日に、寿々が亡くなりました。

 

小学生からずっと一緒にいてくれた、愛犬であり、家族であり、友達でありました。

柴犬のブリーダーさんの所からもらわれてきた時、寿々はこぼれそうな黒目をした仔犬でした。
元はかおりという名前だったけれど、折角だからと新しい名前を考えました。
ブリーダーさんから日本語の名前にしてあげてねと言われて、家族皆で考えて、めでたいねって、コトブキ二つで寿々(すず)にしました。

 

寿々は、とても元気な犬になりました。

ごはんを用意し始めると、気が気じゃありません。

ごはんを前にした時だけは、パタパタとしっぽを振って、オスワリもフセも、食べる前からオカワリまで進んでやりました。

オテ、オカワリ、オテ、オカワリ、フセ・・・
一体誰に似たんでしょう。

 

散歩をする時は、ゼェゼェ言いながらリードをめいっぱい引いて家を飛び出します。
ぐんぐん進んでは道の脇の草むらに寄り道をして、ぐるりと回ってうんちまで済ませると、今度はまたゼェゼェ言いながら家に帰るのでした。

 

寿々は、とても頼もしい友達になりました。

西山は小学校の後半からポツポツと学校を休み始め、中学に入って一学期は頑張ったけれど、二学期からはついにすっかり不登校になりました。

身体が苦しかったり、気持ちが苦しかったりして、ほとんど家から出ない時期もありました。

でも、寿々はそれを許しません。
散歩の為に、西山はようやく渋々外に引っ張り出されるのでした。
近所のおばちゃんに「学校は?」と聞かれる事にびくびくしながらも、寿々と近所を探検して回りました。

時には長い間、寿々のリードをぐるりの柵に結わえて、公園のブランコに揺られたりしました。
そんな時、寿々は足元の砂を蹴散らしてつまらなさそうな西山を気にも留めず、近くの草を食べてはむせたり、飛んでいる羽虫に噛み付いたりしているのでした。

西山が学校に行かなくても、寿々だけは何も言いませんでした。

 

寿々は、とても大切な家族になりました。

いる事が当たり前です。

寿々は、玄関が一番落ち着くようでした。
身体の割に立派な大きさの犬小屋も庭に用意されたけれど、雨でも降らない限りそこに居着く事はなく、結局玄関が定位置になりました。

西山が高校や大学に通うようになり、遅くに家に帰ると、面倒くさそうに、それでも目だけはこちらに向けておかえりをしました。

大学も卒業して、アルバイトをしながら雨先案内人をやっていた頃は、仕事やスタジオやライブで更に帰りが遅くなり、あまり寿々と散歩に行く事もなくなりました。

いってきますとただいまだけの関係が続き、知らぬ間に寿々は少しずつ歳をとっていきました。

やがて雨先案内人を抜けてソロ活動を始めると、西山は寿々のいる仙台の実家を離れ、東京で暮らし始めます。
仙台には時々ライブで戻って、実家には泊まるために帰る程度になりました。
寿々は会う度におばあちゃんになっていきます。

足腰が弱くなり、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり。
立てなくなって、ついにずっと横になったまま自分では動けなくなりました。

それでも、頭を持ち上げるのを手伝ってもらいながら、ごはんや水は自分で食べました。

毎晩夜鳴きだと、実家から聞きました。
寝たきりで、きっとあちこち痛かったと思います。目も耳もほとんどダメになって、怖かったろうと思います。

鳴く方が、じっとしているよりよほど大変だろうに。

本当に、頑張ってくれました。

 

昨日、8月5日で寿々は17歳でした。
長生きでした。

西山は、7月30、31日と仙台ライブの為に実家に戻っていました。
亡くなる2日前、8/1の朝に行ってきますをいったばかりでした。

その瞬間ではなかったけれど、あいさつが出来て幸せです。

 

 

寿々、ありがとう。